天元突破グレンラガンの5話で出てきた教典の中身がなんで分からなかったのか妄想をした。

つまりカミナは神なんじゃなくってアニキなんだよ!

だけだと、最低の洒落の上に意味分からないんですが、以下、グレンラガンのネタバレが入るんで改行を挟んでこじつけの毒電波垂れ流し。



















wikipediaを斜め読みしてたら、ふと、グレンラガンのストーリーの一部は新約聖書を暗喩してるんじゃないか、って思ったことから妄想を逞しくしていくと、カミナはグレンラガンのストーリーにおける神、というかイエス・キリストの役割だったんじゃないかな、って妄想した。
カミナの生い立ちで分かってることは、幼い頃父親と一緒に地上に出たことがある、だけなんですよね。その他家族の話って無かったと思う。誕生とか生い立ちが不明ってのはイエスよりは童話の主人公に近いけど。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8
マタイによる福音書 - Wikipedia

概要によると、

* イエス・キリスト系図、誕生の次第、幼年時代(1-2)
* 洗礼者ヨハネによるさきがけ、イエスの公生活準備(3-4:11)
* ガリラヤにおけるイエスの福音宣教(4:12-20:16)
* イエスの受難と死、復活(20:17-28)

って、いう四部構成になってるのが、
「カミナ編」カミナの立身出世と死と大グレン団の発足を描く
「ニア編」ニアとの出会いによるシモン率いる大グレン団の活躍を描く
「ロシウ編」平定された世界におけるロシウと大グレン団の軋轢を描く
「シモン編」全ての元凶に立ち向かう大グレン団を描く
となんとなく合っているようないないような。

あと、

  • 「マタイによる福音書」と執筆言語
    • マタイ福音についてもっとも議論となる問題は、「もともとは何語で書かれたのか?」という問題である。

というのも合っているような。

とか言ってても、カミナは道半ばでいきなり死ぬ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
イエス・キリスト - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%91%E4%B8%96%E4%B8%BB%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
救世主イエス・キリスト - Wikipedia

ヨーコとキスしたのがいけなかったのか何なのかはアレだけど、物語の最後まで行って英雄、救世主としてではなく、カミナはシモンのアニキとして死ぬことになった。

まあ、なんかそう読めなくもない感じだ。

もちろん三日どころか何日経っても、変容を待たずして息絶えたカミナは復活なんてしないし、その受難を一心に受けたのはシモンだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AD
ペトロ - Wikipedia

シモン・ペトロはイエス・キリストの一番弟子だという。

  • ペトロはガリラヤ湖で弟アンデレと共に漁をしていて、イエスに声をかけられ、最初の弟子になった。

カミナに声をかけられ、村を出ることになったシモンとか、

  • ペトロは弟子のリストでも常に先頭にあげられており(マタイ10:2ほか)、イエスの問いかけに弟子を代表して答えていること(マタイ16:16)などから、イエスの存命中から弟子たちのリーダー的存在であった

周りの静止を振り切って、カミナと先陣切って戦いに出たりとか、

  • エスの受難においてペトロが逃走し(た)

カミナの死に苦しんで、戦えなくなったりとか、

それでもカミナから貰った「お前のドリルは天を突くドリルだ!」という言葉を忘れず、グレンラガンを再び駆り、大グレン団のリーダに認められたりとか、

これも重なったり重ならなかったり。

  • ペトロが迫害の激化したローマから避難しようとアッピア街道をゆくと、師のイエスが反対側から歩いてくる。彼が「主よ、どこへいかれるのですか? (Domine, quo vadis?)」と問うと、イエスは「もう一度十字架にかけられるためにローマへ。」と答えた。彼はそれを聞いて悟り、殉教を覚悟してローマへ戻った

これはテッペリン攻略の決意や、月衝突の攻防の決意、アンチスパイラルとの戦いに見れる気がする。

その後、アンチスパイラルの侵攻は悪魔的な強さを誇って、軍団を圧倒して、戦術を瓦解させて、存在そのものにまで干渉して大グレン団を駆逐しようと攻め立ててきたけれど彼らはこれも乗り越えた。その理由のひとつは、物語の中にカミナが復活したからだと思う。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB
復活 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E5%8F%97%E5%AE%B9
新約聖書とイエスの歴史的受容 - Wikipedia

アンチスパイラルの切り札である多元宇宙に追い落とし、欲求を満たす生涯を体験させ続けるもくろみの中、生涯を追体験するシモンの前にカミナは人間臭い姿を見せたけど、最後には心のアニキとして復活を果たした。シモンの記憶にあるカミナの記憶じゃなくて、そこにはカミナが絶対いた。

しかし、復活したアニキと分かれるとき、天に昇るのはアニキではなく大グレン団のみんなで、宇宙を舞台にした破壊神のようなラストバトルを繰り広げ、アンチスパイラルに勝利を収めてシモンは殉教せずに、そのドリルで天も次元も突破した。

その後物語は、シモンはドリルを譲り渡して大グレン団を去る。その後大グレン団の面々はそれぞれがアニキの死から27年が経過した後の、人類の新しい門出を見上げるところで終わっている。

これが聖書だと、誕生から昇天までイエス・キリストが行っているけど、グレンラガンではそれぞれに役割があった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E4%BD%8D%E4%B8%80%E4%BD%93
三位一体 - Wikipedia

ヨハネによる福音書』...には、神である父が神であることば=子を遣わし、見えざる父を子が顕わし、子は天の父のもとへ帰るが、父のもとから子の名によって「助け主」なる聖霊を遣わす(ヨハ1:1, 14, 14:12, 16-17、26)という構図が描かれる。

救世主イエス・キリストの神性を表す三位一体については、そもそもストーリーにまったく現れなかったと思う。
教典の中身が解読できない、っていうのは新約聖書(の一部)の暗喩させつつも、やっぱり司祭様が言っていたように描かれているのは救世の神でも教えでもなくて、もしかしたら本当にイタズラ、大法螺、男のロマン天元突破グレンラガンそのものなんじゃないかって思う。
もっともカミナ、シモンだけならともかくヨーコ、ロシウ、ギミー、ダリー、キタン、ニアという位置・方向を表す人名が多いから、これはやっぱり単なる妄想なんだけど、カミナが上に、シモンが下に、ヨーコが横でニアが傍にいて、ロシウが背中を守ってその皆をギミーとダリーが学び支える世界なら、教典が解読(細かいことが気に)されなくても、もっと面白い事が起こるって!

リアルタイムでこれを見られた子供がうらやましいなぁ。